第5話 「今日は猫と散歩か〜?」    
 
 翌日。

 今日も空はよく晴れていた。

 春の陽射しが、昨日より少しだけ暖かく感じる。

  「さて」

 玄関を出る。

 今日も散歩だ。

 ただし、今日はひとつだけ決めていることがある。

  「今日はちゃんと港まで行くぞ」

 昨日は、途中で猫につかまった。

 いや。

 別に、つかまったわけではない。

 勝手に立ち止まって、勝手に遊んでいただけだ。

  「…………」

 思い返してみる。

 猫がいた。

 撫でた。

 歩き出した。

 鳴かれた。

 戻った。

 また撫でた。

 それを何度か繰り返しているうちに、結局、海までたどり着かなかった。

  「今日は行くからな」

 まだ猫にも会っていないのに、先に宣言しておく。

 住宅地を抜ける。

 いつもの道を歩く。

 道端の小さな花。

 庭先から聞こえる鳥の声。

 穏やかな春の風。

 のんびり歩いていると、昨日の場所が近づいてきた。

  「…………」

 少しだけ歩く速度が落ちる。

 道路脇の塀を見る。

 いない。

  「なんだ」

 ちょっとだけ拍子抜けした。

 別に会いたかったわけではない。

 今日は港まで行くのだから、いないほうが都合がいい。

  「よし」

 そのまま歩く。

  「にゃあ」

  「…………」

 足が止まった。

 振り返る。

 いた。

 昨日の猫だ。

  「お前、いたのか」

  「にゃあ」

 猫が近づいてくる。

 そして昨日と同じように、脚へ身体をこすりつけた。

  「おいおい」

 すりすり。

  「今日はダメだぞ」

 すりすり。

  「昨日、お前と遊んでたら海まで行けなかったんだからな」

  「にゃあ」

  「今日は港まで行くぞ」

 猫はもちろん答えない。

 しゃがもうとして……。

  「…………」

 やめた。

  「ダメだ」

 昨日はここから始まったのだ。

 一度しゃがんだら最後。

 頭を撫でて。

 喉をごろごろ鳴らされて。

 立ち上がったら鳴かれて。

 また戻る。

 今日は、その手には乗らない。

  「じゃあな」

 猫に向かって片手を上げる。

 そして歩き出した。

  「にゃあ」

  「…………」

 聞こえないふりをする。

 そのまま歩く。

  「にゃあ」

  「今日は行くぞ〜」

 振り返らずに言った。

 しばらく歩くと、潮の匂いがしてきた。

  「お〜」

 昨日は嗅ぐことのできなかった匂いだ。

 建物の間から海が見える。

 春の陽射しを受けて、水面がきらきら光っていた。

  「やっぱり海はいいな〜」

 そのまま港へ向かう。

 岸壁へ出ると、何隻かの船が係留されていた。

 風に揺られた船が、岸壁に当たって小さな音を立てている。

 少し離れたところに、見覚えのある姿があった。

  「こんにちは〜」

  「おう」

 漁師だった。

 船の上で何か作業をしている。

  「今日はちゃんと散歩か?」

  「ちゃんと散歩ですよ」

  「竿は?」

  「ありません」

  「クーラーは?」

  「ありません」

  「それは?」

 漁師が胸元を見る。

  「…………」

 フローティングジャケットを見下ろした。

  「これはいいんです」

  「何がいいんだよ」

  「もう、これは散歩の一部です」

  「意味分かんねえな」

  「僕もよく分かりません」

 漁師が笑った。

  「でも今日は、ちゃんと港まで来ましたからね」

  「なんだ。昨日は来なかったのか?」

  「途中でちょっと……」

  「何してたんだ?」

  「猫と遊んでました」

  「猫?」

  「道の途中に、人懐っこいのがいたんですよ」

  「ふ〜ん」

 漁師は大して興味もなさそうに答えた。

  「気がついたら結構時間が経っちゃって。結局、昨日はそこから帰りました」

  「何しに出てきたんだよ」

  「だから散歩ですって」

  「そうだったな」

 漁師はまた船の作業へ戻った。

  「…………」

 海を見る。

 今日はちゃんと、ここまで来た。

 目的があるわけではない。

 釣りをするわけでもない。

 それでも、昨日来られなかったぶん、なんとなく満足感がある。

  「今日は猫に勝ったな」

  「何の勝負だよ」

  「こっちの話です」

 そのとき。

 漁師がふと顔を上げた。

 こちらを見る。

 そして、少し視線を下げた。

  「なんだ?」

  「え?」

  「今日は猫と散歩か〜?」

  「…………?」

 一瞬、意味が分からなかった。

  「猫?」

  「いるぞ」

  「え?」

 振り返る。

  「…………」

 いた。

 少し離れたところに、昨日の猫が座っている。

  「…………」

 猫はこちらを見ている。

  「にゃあ」

  「お前……」

 いつから?

 そう思って、来た道を見る。

 もちろん答えは分からない。

 あの場所からずっとついてきたのだろうか。

 それとも途中からなのか。

  「今日は構わなかっただろ〜?」

  「にゃあ」

  「なんで来るんだよ」

 猫が立ち上がった。

 こちらへ歩いてくる。

  「おい」

 足元まで来る。

 そして……。

 すりすり。

  「…………」

 漁師が笑った。

  「懐かれてんじゃねえか」

  「昨日会ったばっかりですよ」

  「じゃあ気に入られたんだろ」

  「魚臭いのかな〜?」

  「知らねえよ」

 猫はそんな会話など気にもせず、脚の周りをぐるりと回っている。

  「お前なあ……」

 しゃがんで頭を撫でる。

 ごろごろごろ。

  「…………」

 結局、撫でてしまった。

  「今日は港まで来られたのにな〜」

 猫は目を細めている。

 漁師は船の上から、その様子を眺めていた。

  「まあ、いいじゃねえか」

  「何がです?」

  「散歩仲間ができて」

  「…………」

 猫を見る。

 猫もこちらを見る。

  「にゃあ」

  「……勝手についてきただけですよ」

 春の港に、猫の声が小さく響いた。





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